■趣味の部屋
第31話 美のイデア(17)
芸術の秋ですね。絵の先生(友人)の影響を受けて、今回はニコール・キッドマンの絵に挑戦してみました。絵の先生からはなかなかOKがもらえませんが、楽しんで描くことが大切だと思います。
彼女は、映画「パディントン」にも出演し、名演技を披露しています。特に、目力があり、すぐれた女優さんだと思います。
最近はなかなか時間がとれず、そうした中で今回は、美のイデア(17)を掲載することができました。
なお、好きな映画を、英語で鑑賞しながら、英語の字幕で観ることは、英語の勉強にもなり、一石二鳥ですよ。
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第30話 美のイデア(16)
芸術の秋ですね。
日本の寺院建築の美は、背景の自然と見事に溶け合って、見る者のこころを洗ってくれます。
絵の先生(友人)の影響を受けて、暇を見つけてスケッチしますが、最近はなかなか時間がとれず、そうした中で今回は、美のイデア(16)を掲載することができました。
岐阜県には、魅力的なスポットが数多くありますので、時間の許す限り、その瞬間を絵に留めたいと思います。
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第29話 美のイデア(15)
この夏休みにお盆で帰省した際に、四国の砥部焼きの絵付けをしました。陶芸は初心者で、ランプシェードに絵付けと花押を書き入れ、後日郵送で焼きあがったものを送ってもらいました。私のような素人でも、あらかじめ素焼きに絵や文字を書き入れて、それを窯で焼いてもらい、出来上がったものを後日郵送してもらうというサービス、実は20数年前に体験したものです。
当時、ケンブリッジ大学から先生が来られて、一緒にこうした絵付けを楽しみましたが、皆さんも是非挑戦してみて下さい。お勧めですよ。
Copyright (C) 2015 Hayato HIRATA
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第28話 美のイデア(14)
法学部の教え子(渡部裕太君)が、京都でに撮った写真も見せてもらった時、竹林の七賢人を思い出したので、趣味の部屋「美のイデア」に掲載したいけどと相談したところ、快く写真を提供してくれました。中国の三国時代の好きな私にとって、竹林の七賢人は子供の時から尊敬の対象でした。中国の晋の時代の頃に、世俗から離れて竹林で琴と酒を楽しみ、清談にふけったとされる七人ですが、子供のころ障屏画として目にしたのが今でも思い出されます。実際には、全員が隠者であったわけではなく、多くは役職についていたそうです。阮籍(げんせき)・嵆康(けいこう)・山濤(さんとう)・向秀(しようしゆう)・劉伶(りゆうれい)・阮咸(げんかん)・王戎(おうじゆう)の七人が一同に会していたかどうかは別にして、老荘思想に基づき俗世から超越した清談を行っていた彼らを、竹林をみると思い出します。
Copyright (C) 2014 Yuta WATANABE
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第27話 美のイデア(13)
法学部の教え子(渡部裕太君)が、オーストラリアに留学した際に撮った写真を見せてもらった時、彼の写真で心に訴えかけるものがあり、趣味の部屋「美のイデア」に掲載したいけどと相談したところ、快く写真を提供してくれました。
まずは、オーストラリアの夕日の写真を掲載したいと思います。朝日も綺麗ですが、時事刻々と色が変化していく夕陽も綺麗です。渡部君からいただいた写真は、どれも素晴らしいものばかりですが、ゆっくりと鑑賞してください。
Copyright (C) 2014 Yuta WATANABE
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第26話 美のイデア(12)
ソウルで国際シンポジウムがあり韓国に行ってきましたが、韓国で素敵な絵と出合うことができました。通常の大きさのキャンバスの絵と違って、やはり大きな絵は近くで見ると迫力があります。
この海の中にいるような壁絵にすっかり魅了されましたが、大きい絵画って本当に素敵ですね。
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第25話 美のイデア(11)
法学部と経営学部合同で、2013年4月18日(木)にA班とB班に分かれて2013年度「建学の精神と社会生活」フィールドワークを実施しました。法学部は、経営学部経営情報学科とともに、A班の日程に従い、午前中に長良川河口堰の見学等を行い、その後に岐阜公園にバスで移動して岐阜市歴史博物館等を見学しました。
今回の学外研修は、教員・学生間の交流・親睦だけが目的ではなく、特に岐阜県の歴史や地域性を直に学ぶことで、朝日大学の岐阜県における目的・使命を学生に考えてもらい、本学がどういった人材を育成しようとしているのかを考えてもらうためのプログラムの一環で実施しました。
今日、環境問題は法律とも密接に関係していますが、特に長良川河口堰の紹介をいたしましょう。長良川河口堰のすべてのゲートは、シェル構造の2段式ローラゲートになっていることから、人間的知性に基づく水資源の活用法、そして創造性に富んだこだわりの技術が環境問題にいかに関わっているかを、学生たちが河口堰を間近に見ることで学んでいたのが印象的でした。こうした河口堰の構造は、平常時においては、ゲートの上面にそって河川の水を上流から下流に流すことが可能になり(オーバーフロー操作がすべてのゲートでできるのです)、さらに、下段ゲートの下から河川の水を上流から下流に流すこともゲートごとに可能なのです(アンダーフロー操作)。河川の上の部分も底の部分も自由自在にフローさせるテクノロジーは美しいと思いませんか? 人間の生み出すテクノロジーは環境にも優しいということを再確認した1日でした。
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第24話 美のイデア(10)
サヌカイト(Sanukite)について紹介しましょう。サヌカイトは、讃岐岩(さぬきがん)とも呼ばれ、名称のもとである香川県<さぬきうどん県>坂出市周辺等で採れる非常に緻密な古銅輝石安山岩です。石器時代には、打製石器・磨製石器の材料として使われていたようです。2007年に、日本の地質百選に選定され(「サヌカイト」)、地質学的に見ても貴重な自然資源であることがわかります。
叩くと高く澄んだ音が鳴り、「石琴」楽器も存在するほど美しい音色がします。サヌカイトの美しい音色は、岩石と比べて大きい結晶がほとんど無く、大部分がガラス質や非常に細かい結晶の粒子でできているため、たたくと澄んだ高い金属音がするそうです。また、針状の粒子が一定方向に規則的に並んでおり、全体が均質であることも、美しい音色の秘密であるといわれています。
香川では、カンカン石と呼ばれて親しまれていますが、このサヌカイトを「テグス10号」の糸の上にのせて、自作の楽器を作ってみました。サヌカイトを叩く槌は、鹿の角(伊賀のボタン職人が加工)でできた鹿角ボタンを利用して私が作ったものです。サヌカイトを叩くと、石器時代にタイムスリップしたような気持ちになります。
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第23話 美のイデア(9)
今回は、猪熊弦一郎現代美術館について取り上げたいと思います。私は、猪熊弦一郎という洋画家はとてもすごい人だと思います。凡人のように人に自慢したり、驕り高ぶるところがまったくなく、終生チャレンジ精神をもって生き抜いた彼の生き様こそが、まさに「美」のイデアを具現しているように思えてなりません。
1938年に猪熊はパリに行き、そこでマチスに出会うのですが、われわれの誕生の確率は250兆分の1であることから考えると、あの偉大なマチスから直接教えを乞うことができた猪熊は本当に恵まれた人だと思います。実際、猪熊の"The
City"には、マチスの影響が見られます(カンバスの縁をご覧あれ)。また、マチスが「おまえ(猪熊)の絵はうますぎる」と言われたことが一番厳しい言葉だったと猪熊が考えていたことから類推すると、恩師の言葉を正しく理解し、テクニックだけの絵ではなく、自分自身を素直にカンバスにぶつけることの大切さを彼が正しく理解したところが彼のすごさだと思います。
猪熊は、猪熊弦一郎著『私の履歴書』(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、2003)のなかで、次のように述べています。
「あらゆる苦難の過去を一つ一つ大きな神の力で救われながら、私は毎日の仕事が愉快でならない。年をとることを忘れているのではないが、それだけ物に大胆になり、小さなことごとはあまり気にならなくなった。毎日を喜びと感謝を持ちつつ制作を続け、ますます子供の心のように清く生き生きとそして明るく、何事によらず未知の世界に大きな驚きと興味を持ち続けて、いままでにない何かを作り上げたい念願で一杯である。」(128頁より引用)。
なんと美しい言葉でしょう。人生かくあるべしと感じますが、皆さんはいかがですか?
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第22話 美のイデア(8)
東京スカイツリーには、日本刀の持つ「そり」の技術が取り入れられているそうです。タワーのデザインに日本の伝統美が取り入れられていることは驚きです。平安後期以降の日本刀には、緩やかなカーブが付いています。源氏、平氏など武士の成長や騎馬戦の中で「反り」のテクノロジーは洗練されてきました。古代の日本刀のような直刀は、ただ振り下ろすだけでは切れません。引かなければならないのです。ところが、「そり」を入れることで、振り下ろすと同時に、切る動作ができるようになったのです。この合理性は同時に日本刀の美学を生み出しました。直線の刀も美しいのですが、わずかな「そり」により、威厳が出てまた美しいのです。緩やかなカーブにより、雪や埃がタワーにまとわり着くのを防ぐと同時に、威厳のある東京スカイツリーになっているのかも知れません。
「そり」のある日本刀は有名なので、今回は敢えて、直刃(すぐは)の十文字槍を紹介しましょう。この槍(文殊国重)の刃紋は、「直刃 小乱れごころ」と呼ばれており、美しい刃紋が見られます。日本刀は人を斬るためではなく、研磨の技の発達とともに、刀身自身の美が認識されるようなり、曇った心の闇を斬ることで、見る人の心を癒してくれると思います。
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第21話 美のイデア(7)
下(左)の写真は“横浜みなとみらい” のクリスマス・ツリーです。横から見ると、綺麗な三角形です。
子供の頃、我が家の庭には高くそびえる6本の大きな“モミの木”があり、それらの“モミの木”は円錐形で下に広がる形状をしていました。横から見ると綺麗な三角形に見えて、自然の美しさに感心していたのを覚えています。 小学校の同級生の父親が牧師さんをしていた関係で、クリスマスにはクラスメイトと一緒に、彼のお父さんのお話を聞いたりして、みんなで過ごしていました。
この円錐形の“モミの木”は、正面から見ると三角形をしていますが、クリスマス・ツリーはこの三角形を三位一体(父と子と聖霊)と重ね合わせているのかも知れませんね。
友人のお父さん(牧師)から、三位一体の話をクリスマスに同級生と一緒に聞いていたのを、クリスマス・ツリーを見ると思い出します。 厳しい冬の寒さの中でも天空を目指して育ってゆく“モミの木”を見ると、生命の象徴としての「美のイデア」を感じます。
Copyright (C) 2011 Hayato HIRATA. Copyright (C) 2011 Hayato HIRATA.
第20話 美のイデア(6)
緑の葉の中で、可愛い薄紫の小花が一輪だけ咲きました。顔を近づけると甘いミントの香りがほのかに漂ってきそうな気がします。ミンティアは普通初夏に開花し、四季を通じて緑が美しい観葉植物ですが、11月に一輪だけ開花しました。
「汝らはミント、ディル、クミンなどで10分の1を税として納めているが、・・・」(マタイ伝第23章23) と聖書に書いてあるように、昔はミントが税金の代わりに納められていたのを皆さんご存知でしょうか? 目を聖書からギリシャ神話に転じてみると、ギリシャ神話ではミントはその昔、メンテー(Mentheに由来)というニンフでした。冥界の王ハーデースはメンテーの美しさにすっかり魅了されてしまい、お妃のペルセポネーの怒りをかってしまいました。ペルセポネーは激しいジェラシーからメンテーに「汝はくだらない雑草になりなさい」と呪いをかけ、メンテーを草に変えてしまったのです。以来この草はミントと呼ばれるようになりました。それでも、ミントはハーデースに寄り添う如く、王宮の神殿の庭で愛らしく咲き誇り続けたのです。地上で太陽の美しい光を浴びる度にミントは芳香を放ちますが、ミントはハーデースに忘れ去られないように自分の存在を知らせているのです。祖母の従兄弟に、洋画家の猪熊弦一郎(1902年香川県高松市生。1993没)
がいましたが、祖母の話では、猪熊はミントの花をこよなく愛していたそうです。猪熊弦一郎は38~40年渡欧し、アンリ・マチスの指導を受けましたが、マチスは緑好きが高じて一風変わったアトリエを作っていたそうです。マチスのアトリエのテーブルの上には、所狭しと並べられた多様な花が置かれ、中には身の丈を越す巨大な観葉植物もあって、まるで植物園のようであったと祖母は猪熊弦一郎から聞かされていたそうです。私は、ミントの花や美しい葉を見ると、猪熊弦一郎を思い出します。
なお、下の右側の写真は、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の建物の中にある喫茶室の「ハーブティー」です。
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第19話 善のイデア(東日本大震災被災者への学生たちのメッセージ)
ゼミ生の一人が、なにか役に立つことをしたいと言いました。
そして、ゼミ生全員がこのホームページ上に自分たちのメッセージを載せることを決めました。
彼らの声は、純粋な、人を思いやる偽らざる心の声です。
第5話で書きましたが、真の法律家には、たとえ自分が当事者の味わった嫌な気持ちや、不幸な体験をしたことが無くても、
その人の痛みに共感して理解し、困っている人を救って行く責任があります。
法学部で学ぶ本当の意味はそういったことではないかとつくずく思うのです。
朝日大学の建学の精神は、
国際未来社会を切り開く社会性と創造性、そして、人類普遍の人間的知性に富む人間を育成することにあります。
この 朝日大学創立者の文化的遺伝子ミーム(建学の精神)を引き継ぐ彼らの声が、被災者の皆様に届き、
少しでも勇気づけられますように!
Copyright (C) 2011 Hayato HIRATA.
☆
今回の大地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
ニュースなどで報道されている状況を観て、本当に胸が痛みました。
大人から子どもまで、一人一人の協力で復興している姿は感銘を受けました。
私なりの形で皆さんのお役に立てられるよう、協力したいと思います。
共に頑張りましょう!
From T
☆
東日本大震災のニュースを見てとてもショックを受けました。
今自分に出来る事は募金ぐらいしかないですが、気持ちを1つにして頑張りましょう!!
From Y
☆
今、世界中の方々が皆さんの事を応援しています!
そして私たち日本人は皆さんとこれから復興に向け、一緒に頑張っていきます。
諦めないで頑張りましょう!
From N =B(B
☆
被災したみなさん
つらいと思うけど
今は我慢です
絶対明るい未来が待っていると信じてがんばりましょう
がんばろう日本
From K.T
☆
大きな大きな被害を受けられて体も心もずいぶんお疲れのことでしょう
辛い思いをたくさんした分、楽しいことや嬉しいことが待っているはずなので、
どうか、辛くても前を見て過ごして行ってください。
私も今頑張れる環境にいることに感謝して、悔いのない生活をしていきたいと思います
From A.N
☆
『少しずつ 少しずつ 元気を取り戻そう★
楽しいことを みつけよー♪
今日より明日 いい日を送れるように..★』
From O
☆
一歩ずつ前に前に、前に前に
いつの日か元の生活がもどってくるはず
From K
☆
東北地震で被災された皆様、今とても大変なときだと思います。
しかし日本のみんな、世界のみんなが被災されたみなさんの仲間です。
いま一人一人になにができるか、一人一人が諦めず前向きに行動していきましょう。
また笑い合えるときが必ず来ます。
From K.K
☆
今、私にできること…
被災された方々の1日も早い復興を願っています。
そして将来、皆さんのお助けができるよう今、勉学に励んでいます。
今、直接支援できることは少ないですが、心から応援しています。
From N
☆
今こそ起こそう、不滅の闘志を
救世の時が遠くても、共に戦おう
From T.H
☆
今回の東日本大震災の被害と自然の猛威に私はとても驚かされたと共に
恐怖をテレビの画面越しながら感じました。
その時、真っ先に頭を過ぎったのが東日本に居る友人らは無事なのか?という事でした。
それで、直ぐに安否確認のメールを送って、幸いみんなからメールが帰って来たので安心しました。
しかし、日に日にテレビに映る被災地を見る度に
募金くらいしか出来ない自分の無力さを痛感している日々です…。
被災地では、余震や食べ物、放射能による不安まだまだ心配は多々あると思いますが…
一刻も早く被災者の皆様に被災前の日常を贈れるように願っています。
From K
☆
この度の震災で被災された方々にお見舞いを申し上げます。
今皆さんは非常に厳しい生活をしていると思います。
ですが、今は「生きる」ことが大切です。
自分のために、家族や友人、これから出会う誰かのために生きて下さい。
私も微力ながら出来る限りの協力をします。
1日でも早い復興を願っています。
From A.O
☆
謙虚な姿には感動しました。日本人として心から誇りに思います。
これからも厳しい日々は続くと思いますが希望を持ち続けてください。
東北人の負けん気の強さなら必ず復興出来ると思います。
私も出来ることはします。
共に頑張りましょう。
From R.K
☆
被災者のみなさまにはもう「頑張ろう」とかという言葉はうんざりかもしれません。
でも,日本全国のみんながいます。
みんな、自分にできることをやり、少しでも被災者のみなさまに援助をと取り組んでいます。
被災者のみなさまにとっては,大学生のやれることは,ちっぽけな事かもしれません。
でも少しでも「被災者へ届け」 とばかりに今自分にできることをやっています。
軽々しいかもしれませんが、絶対に東北は復興すると思います。
日本の力が一つにまとまった時、必ず光がさすと思います。
From Y
☆
被災地の皆様、自分が今できる事、それはコンビニで募金することなど、こんな事しかできないけど、
1日も早く元の生活に向けて復旧しますようお祈り申し上げます。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
From J.K
☆
被災者のみなさん、一日も早い復興を祈ってます
その中でも、原発で作業している皆さんの生活状況がとても厳しいと聞きました
そんな状況でも頑張って復興に向かって作業している皆さんの姿をテレビで見てとても感動しました
僕は直接作業したりはできないけど、募金などできることからしていきたいた思います
From S.M
☆
大丈夫!
みんなあなた達を応援しています
明るい未来を信じて頑張ろう
From S
☆
1日も早い復興を祈っています
We LOVE TOHOKU
From S.K
☆
東北から関東にかけての地震、そして津波、原発事故により、
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
被災された方々の恐怖、苦労、悲しみを考えますと胸が張り裂ける思いです。
ひとりでも多くの方の命が助かり、少しでも早い復興が成されることをお祈りすると共に、
微力ではありますが自分の出来ることを考え、出来る限りの活動をしていきたいと考えております。
また、一日でも早く安息を得られることを切に願っております。
この程度の短い言葉ではありますが、自分は心底からの応援をさせていただきます。
現状に負けず、頑張ってください。
From S(中国からの留学生)
第18話 美のイデア(5)
2009年6月から10月まで,ケンブリッジ大学で研究してまいりました。1990年にケンブリッジ大学に滞在して以来、20年ぶりにケンブリッジの地で生活する機会を得させていただき、関係の皆様に心より感謝しています。今回は「石と木の文化の融合」と題してお話ししたいと思います。
周知のように、日本もイギリスも共に島国です。イギリスは新しい火山や地震がほとんど無いため、山が低くて平坦な土地が多いといった特徴があります。森林被覆率を比較すると、日本が67%であるのに対して、山の少ないイギリスではわずか10%です。それゆえ、イギリスは石の文化、日本は木の文化が発達したといわれています。
地震がほとんどないイギリスでは、石やレンガ造りのキャンパス、教会が印象的でした。古い建物を日本のように文化財として使わずに保存するのではなく、イギリスでは古い建物を今も実際に利用しながら大切に守り続けています。また、日本と違って 建物が道にそって曲がっていることも驚きでした。
さて日本では、新築に価値を置く業者によるマンション等の建設ラッシュで森林破壊が進み、古い町並みや古い建物の価値が軽視されてきました。しかし、日本には伊勢神宮の20年毎に執り行われる式年遷宮に見られる建替えの文化という優れた知恵があります。高温多湿の日本では、木造建造物は老朽化し、建替えが必要であるということや、後世への優れた建築技術の正確な伝承という理由から、式年遷宮の制度が定められた天武天皇の時代、7世紀頃には、すでに日本には経年劣化に強い建築技術が確立されていたにもかかわらず、従前の殿舎と寸分違わぬ弥生建築の殿舎を築くということが営々と続いており、木の文化に対して伊勢神宮は世界中から賞賛・注目されています。
ただ、「ヨーロッパ=石の文化」、「日本=木の文化」という図式は実は正確ではありません。
イギリスの建築思想ではエクステリアとインテリアの概念が定着しています。家具や床などはしっかりとした木製のものでしつらえるのが、伝統的なイギリス流の考え方です。代々立派な家に住むような家系(特に上流階級)の人々は、家具も代々引き継いでいます。また、キャンパス内のケム川をまたぐ橋や、床、階段の手すり、そして一般家庭の塀や、電柱などにも木材が多く使用されていることを考えると、イギリスは石と木の文化が見事に調和しているといえるでしょう。
他方日本においても、伊勢神宮のご正宮を参拝する際の石の立派な階段や、京都府京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院である龍安寺(りょうあんじ)の石庭は世界的に有名です。日本においても、これまた石の文化と木の文化が見事に融合しています。
このように、一見異質なものが調和していることの中に、美のイデアがあることを学びました。法律においても、英米法と大陸法という異質なものが、現在融合されつつあります。そして、様々な個性や歴史的背景を持った人間どおしが、お互いにその長所を伸ばしながら調和することの大切さを痛感した次第です。
Copyright (C) 2009 Hayato HIRATA. 色鉛筆スケッチ Copyright (C) 2012 Hayato HIRATA
ケンブリッジ大学は2009年が創立800年にあたり、とてもきれいな建物が大切に守られています。
第17話 美のイデア(4)
2009年6月から,ケンブリッジ大学に留学するため再び渡英します。1990年にケンブリッジ大学のフィッツウィリアム・ミュージアムでエジプトの至高の芸術品を見たとき,その時空を超えた美のイデアに圧倒されたのを覚えています。今回留学の準備をしながら,アブ・シンベル神殿の足元から巨像を見上げるアングルで,鉛筆と木炭棒でデッサンしたものがようやく出来上がったので,掲載したいと思います。
古代エジプト人の持つ永遠の生命へのロマンには人を魅了させる何かがあります。古代エジプト人は,人は死んでも魂(バー)と聖霊(カー)は残存すると考えていました。聖霊カーは,死後に冥界の神であるオシリスの御前で,アヌビス神によって,その心臓と真理マアトのシンボルである羽が天秤にかけられ,うまくつり合えば死後の楽園への切符を手に入れることができたのでした。
このように私たちは,比較衡量という法律用語のミーム(文化遺伝子)をエジプト文化に見ることができるわけです。文化遺伝子のお話は,法社会学の講義で何度もお話してきたので受講者には馴染みの深い言葉ですが,ヨーロッパにおける正義の女神像も天秤を手にしており,また日本の弁護士バッチ(ブラジルでは指輪だそうです)の向日葵の中の天秤もこうした文化遺伝子を受け継いでいるのではないでしょうか?興味のある方は,是非,法社会学の授業を受講してくださいね。
さて,アブ・シンベル大神殿はラムセス2世による建造とされ,大神殿は太陽神ラーを祭神としています。神殿の奥にはプタハ神,アメン・ラー神,ラー・ホルアクティ神,ラムセス2世の像があります。年に2回だけ神殿の奥まで太陽の光が届き,神殿の奥の4体の像のうち冥界神であるプタハ神を除いた3体を明るく照らすのです。エジプト神話における最高神であるラーの外観は,人間の体に隼の頭をして,その頭頂に太陽をシンボライズした円盤を載せた姿をしています。このラーを含めた3体が眩いばかりに光り輝き,太陽の威光を放つとき,太陽への畏敬の念を人は誰しも感じるのではないでしょうか?
Copyright (C) 2009 Hayato HIRATA. 鉛筆スケッチ
第16話 美のイデア(3)
大聖堂の中に、光が差し込む景色は、神々しいものを誰もが感じるであろう。日本建築も素晴らしいが、西洋建築の中でも、大聖堂の美しさは、息を呑むほどのものである。ゴシック建築を代表するパリのノートルダム大聖堂(Cathédrale
Notre-Dame de Paris) は、ローマ・カトリック教会の大聖堂であるが、ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」(聖母マリア)を意味し、シューベルト作曲の「アヴェ・マリア」を聞くとき、いつもこの大聖堂の美しい光景が目に浮かぶ。
Copyright (C) 2008 Hayato HIRATA. 鉛筆スケッチ
第15話 美のイデア(2)
1995年の阪神・淡路大震災で、兵庫県内にある塔は一つも倒れなかったそうです。全国的に見ても、五重塔が地震で倒壊したという記録はほとんど見当たりません。なぜ、木造建築であるにもかかわらず、五重塔が地震に強いのでしょうか?
建築の専門家によれば、「積み上げ構造」という建築方法を採用したことで揺れに強いのだそうです。すなわち、五重塔建造の際に、各階ごとに軸部や軒を組み上げ、まるで鉛筆キャップを重ねるようにして積み上げるという工法に因り地震に強い木造建造物になっているのだそうです。
また、各部の部材は特殊な切り組み方法で接合されており(宮大工の卓越した切り組み技術は有名)、重量鉄骨構造のようにボルトで堅固に接合する「剛構造」とは違って、いわゆる「柔構造」により、地震が起きても各階が互い違いに振幅することで地震の衝撃波を吸収するのだそうです(柔構造説)。
さらに、塔の中心を貫く太い柱(「心柱(しんばしら)」)が、地震の振動を効果的に吸収する働きをすることで、倒壊しにくい構造になっているとする理論(「心柱振動吸収説」)もありますが、防災科学技術研究所(茨城県つくば市)で行われた実験では、有力説の一つとされてきた「心柱振動吸収説」に疑問符がつく結果が出たそうです(YOMIURI ONLINE記事「地震に強い五重塔の謎に迫る、有力説に疑問符も」2006/4/14)。
加えて、各階の柱が太いことや、組物がしっかり組まれており、水平方向に変形しにくいことも地震に強い理由として挙げられるそうです。しかし、このように五重塔の耐震性については諸説あり、本当の理由はまだ解明されていませんが、耐震性の謎は今後、建築学者が解明してくれることでしょう。
ただ、建造物自身の揺れによって地震の振動を効果的に吸収する「柔構造」の卓越した技術が、世界中の超高層建築に応用されていることは事実であり、興味深いものがあります。そして、本当に卓越した技術は、見るものを圧倒する美的価値を内包していると思います。
日本の木造建築技術の粋を結集した五重塔の美しさは、倒壊しにくい謎を残しながらも、今後も見る人に感動を与えていくことでしょう。
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第14話 美のイデア(1)
ギリシャの哲学者プラトンは、人間は「真・善・美」を追い求める存在であると述べているが、私たちは本物を求め、善の宿るものに多くふれ、美しいものに接して感動することで、生き生きとした人生を送ることができるのではないだろうか。「真、善、美」は本質的な価値であるが、人の生き方としても大切な価値である。自分がどのように生きるかは、「本物であること、世の中のためになること、美しくあること」を価値評価軸として生きることが大切である。
哲学者の「美」の解釈は難解でとっつきにくいが、そうした難しい議論はさておいて、「美のイデア」と題して、これから様々な題材をテーマにしてエッセイを書いていきたい。今回は、朝日大学法学部の私の教え子で、小坂裕司君の作品を紹介したい。彼は趣味で様々な絵を描いているが、この「電車」の絵はそのうちの一つである。
第29回サロン・デ・ボザール展「電車」〔三重県知事賞受賞作〕小坂裕司
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列車の本数が少なく、車両が1両しかなくても、ローカル線には「暖かさ」があり、まるで絵本を見ているようにメルヘンチックなものが感じられる。本物志向が高まる中、日常の喧噪から遠く離れ、癒しを求める現代人にとって、絵本に出てきそうなかわいい電車や、素朴な自然が感じられるこの絵から、皆さんの心の中にある昔懐かしい沿線風景を重ね合わせて楽しんでもらいたい。
第13話 漢文に学ぶ(6)
夫君子之行、静以修身、 それ君子の行いは、静以て身を修め、
倹以養徳。 倹以て徳を養う。
非澹泊無以明志、 澹泊にあらざれば、以て志を明らかにすることなく、
非寧静無以致遠。 寧静にあらざれば、以て遠きを致すことなし。
夫学須静也、才須学也。 それ学は須く静なるべく、才は須く学ぶべし。
非学無以広才、 学ぶにあらざれば、以て才を広むるなく、
非志無以成学。 志あるにあらざれば、以て学を成すなし。
滔慢則不能励精、 滔慢なれば則ち精を励ますこと能はず、
険躁則不能治性。 険躁なれば則ち性を治むること能はず。
年与時馳、意与日去、 年は時と与に馳せ、意は日と与に去り、
遂成枯落、多不接世。 遂に枯落を成し、多く世に接せず。
悲窮盧守、将復何及。 窮盧を悲しみ守るも、将た復た何ぞ及ばん。
諸葛孔明の人生哲学
これは、約1800年前に活躍した諸葛孔明が子孫へ宛てた訓示「誡子書(かいししょ)」である。諸葛亮の子孫が住む諸葛鎮(村)の大公堂に保管され、現在まで伝えられている。
私なりに解釈すると、 「人の上に立つ優れた人物は、静かに自身を練磨し【冷静・勤勉さ】、控えめに振舞って徳を養うものである【倹約】。無欲でなければ、志を抱き続けることはできず、穏やかでなければ道は遠い【無欲・穏やかさ】。学問は静から、そして才能は学ぶことから生まれる【学習・行動力】。学ぶことで才能は開花する。志を失えば、学問の完成はない【意志】。自惚れていると、自分を奮い立たせることはできないし【謙虚・不撓不屈】、心に落ち着きが無ければ、己を制することはできない【冷静・セルフコントロール】。時が経つのは早く、瞬く間に歳をとり、気力も体力も衰え、世の中との関わりも少なくなっていく【人間関係構築の重要性】。そうなってから悲嘆しても、どうにもならない【計画的行動】。」
諸葛孔明の真価
諸葛孔明に対する評価は、政治および軍事の天才とする見方と、逆にかなり厳しい評価がなされているのも事実である。しかし、諸葛孔明の亡き後、その遺志を受け継いで北伐を続けた忠臣・姜維(きょうい)が孔明から学んだ七つの教え―「冷静」「勤勉」「倹約」「行動」「意志」「計画」「人間関係」は、孔明の誡子書からも伺うことができ、また「静→学→才」という孔明の構造的思考に裏打ちされた哲学は、現代人にとって学ぶべきことが多いであろう。
法律の勉強だけでなく、あらゆる勉強の基盤足りうる誡子書における孔明の哲学を皆さんはどのように感じますか? 早くに両親を亡くし、中国の群雄割拠の時代に幼少期~青年期を過ごした諸葛孔明は、一生懸命に勉学に打ち込み、罪のない民衆が犠牲になっている世の中を、天下三分の計で均衡を保たせるように考えた。信義誠実に生き、そして劉備父子と蜀のために尽くした孔明の高潔な人格を、私は高く評価したい。
第12話 漢文に学ぶ(5)
丞相祠堂何處尋 丞相(じょうしょう)の祠堂(しどう) 何れの處にか尋ねん
錦官城外柏森森 錦官城外(きんかんじょうがい) 柏森森(はくしんしん)
映階碧草自春色 階に映ずる碧草(へきそう) 自ずから春色(しゅんしょく)
隔葉黄鸝空好音 葉を隔(へだ)つる黄鸝(おうり) 空しく好音(こういん)
三顧頻煩天下計 三顧(さんこ)頻(しき)りに煩わす 天下の計りごと
兩朝開濟老臣心 兩朝(りょうちょう)開き濟(な)す 老臣の心
出師未捷身先死 師を出(い)だして未だ捷(か)たず 身先ず死す
長使英雄涙滿襟 長く英雄をして 涙襟(きん)に滿た使(し)む
これは、有名な杜甫(とほ)の蜀相(しょくしょう)という詩である。
直訳すると、「蜀漢の丞相である、諸葛孔明(しょかつこうめい)を祠(まつ)った廟はどこを捜し求めたらよいのだろうかと思案していると、(今の四川省)成都郊外の柏の木々が生い茂った所にあった。廟の階段に映える碧の草は、おのずから春の色を見せ、柏の葉陰には鶯が聞く人もいないのに、むなしく好い音色で鳴いている。昔、劉備は諸葛孔明を三度も訪ねて天下を治める計を問い、礼を尽くして軍師として協力を乞うたのであった。諸葛孔明は劉備と劉禅の父子二代に渡って、苦難を切り開いて、老臣としての忠誠の心を尽くしたのである。しかし、魏を討伐するための出軍したが、戦に勝たないうちに、病魔に侵されて(五丈原の陣営)亡くなり、その忠誠は長く後世の英雄たちに涙を流させたのである。」
諸葛亮(しょかつ りょう、181年-234年)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・武将・軍略家・発明家で、字は孔明(こうめい)といい、私が大好きな偉人の一人である。
劉備は白帝城で223年に死去するにあたり、諸葛孔明に「君才十倍曹丕、必能安国、終定大事。若嗣子可輔、輔之。如其不才、君可自取」(あなた(孔明)の才能は曹丕の十倍ある。必ずこの国を安定させて、最終的に中国統一を果たすだろう。もし後継ぎ(劉禅)が補佐するに足りる人物であれば、補佐してくれ。もし、後継ぎに才能がなければ、君が自ら皇帝となりなさい)と言いながら亡くなった。これに対して、諸葛孔明は、目に涙を浮かべながら、「臣敢竭股肱之力、効忠貞之節、継之以死」(臣敢へて股肱の力を竭(つく)し、忠貞の節を効(いた)し、之を継ぐに死を以てす」と応え、私は思い切って劉禅の手足となって力を尽くしますと答え、あくまでも劉禅をサポートする姿勢を貫いたのであった。
心から敬愛する人物に忠節を尽くし、礼儀を重んじる諸葛孔明の誠実な生き方の中に、学ぶべきことが多いように感じる。そして、彼の生き方に「信義誠実」という法原則と通じるものがあるように思う。
第11話 漢文に学ぶ(4)
昔者、荘周夢為胡蝶。 昔者(むかし)、荘周(そうしゅう)夢に胡蝶(こちょう)と為る。
栩栩然胡蝶也。 栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。
自喩適志与。 自ら喩しみ志に適えるかな。
不知周也。 周(しゅう)なるを知らざるなり。
俄然覚、則遽遽然周也。 俄然(がぜん)として覚(さ)むれば、則ち遽遽(きょきょ)然(ぜん)として周なり。
不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。 知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。
周与胡蝶、則必有分矣。 周と胡蝶とは、則ち必ず分あらん。
此之謂物化。 これを物化と謂(い)う。
周は、荘子の名である。夢の中で蝶々になって、荘周は、ひらひら飛んでいた。なんと心地よく楽しい夢であろうかと荘周は感じたのであった。彼はその時、自分が荘周であることもすっかり忘れて蝶々としての舞を楽しんでいたのであった。にわかに目を覚ますと、自分が荘周であることに驚いたのであった。しかし、荘子は考えた。荘周が夢の中で蝶々になって飛んでいたのか、逆に蝶々が見ている夢の中で自分が荘周になっているのだろうかと。
この話は荘子の「斉物論」の中で語られている有名な一節である。この詩の背景には「万物斉同」の境地がある。蝶々であることも荘周であることも、万物斉同の境地から見れば、究極的には一つであるが、現実には明確に峻別されるのである。すなわち、今ある荘周という存在が、蝶々の見ている夢であったとしても、蝶々と荘周は現実には峻別されることに変りはない。物には必ず形があることで区別され、荘子はこのことを「物化」と呼んでいる。「物化」とは読んで字の如く、化して物となることを指すが、論理的には、元は一つであることを前提としているのである。
荘子は、逆説的なレトリックを効果的に用いており、読者を夢幻の世界へと誘うが、「胡蝶の夢」の説話には、無為自然、万物斉同の荘子の哲学がよく表現されている。「胡蝶の夢」は、一般には、夢と現実との境が判然としないたとえ、あるいは、この世の生のはかないたとえに用いられるが、私は次のように解釈したい。
現代社会では、学歴、職歴、貧富、美醜等から「格差社会」を作っているといわれている。しかし、荘子の考えでは、同じ存在が格差のない世界を自由に楽しんでいるともいえるわけである。無為自然な生き方を荘子はこの詩に託しているのではないだろうか。
第10話 漢文に学ぶ(3)
月落烏啼霜満天 月落ち烏(からす)啼(な)いて 霜 天に満つ、
江楓漁火対愁眠 紅楓(こうふう) 漁火(じょか) 愁眠(しゅうみん)に対す。
姑蘇城外寒山寺 姑蘇(こそ→蘇州の古い名前)城外 寒山寺、
夜半鐘声到客船 夜半の鐘声 各船(かくせん)に到る。
2007年に蘇州の寒山寺を訪れた。その時、張継(ちょうけい)の詠んだ「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」の一節を思い出しながら寒山寺の中を散策した。寒山寺が日本でよく知られているのは、張継の詠んだこの「楓橋夜泊」の一節と、「蘇州夜曲」(歌謡曲)に登場したからである。直訳すると、「月が落ちて夜の闇の中でカラスの鳴き声が聞こえ、厳しい霜の気配が天いっぱいに満ちている。運河沿いに繁る楓と点々と灯る河川の漁火が、旅の愁いの中での浅い眠りについてもチラチラかすめる。とそのとき、蘇州の町はずれにある寒山寺から、夜半を知らせる鐘の音が、自分が乗っている船にまで聞こえてきた」となる。私はこの詩を読む時、寒山(かんざん)と拾得(じゅっとく)の心を打つ伝説を思い出す。
一般には、寒山と拾得は中国の唐の時代の伝説的な僧侶で、豊干善師に師事したと伝えられている。豊干禅師が捨て子の拾得を拾ってきたので拾得と命名され、拾得はいつも箒を持って寺の掃除や賄をしていたとのことである。そして、二人は幼なじみで血は繋がっていないが肉親の兄弟よりも親しかった。二人は飄逸な姿で過ごし、自由奔放で奇行が多かったと伝えられているが、天台山国清寺に住んでいたとのことである。子供のころ、寒山拾得の画を見ると、なぜこんな風変わりな格好をしている人物が墨で描かれているのか不思議でならなかったが、宋時代以降、禅僧に好まれ画題として数多く採り上げられてきたことを後に知った。
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「寒山と拾得」の物語は森鴎外の小説でも有名であり諸説あるが、その中の一説によると、年上の寒山は早くに両親と死に別れ、幼少のころから豚の屠殺をしていたそうである。やがて寒山に縁談の話が持ち込まれ、三里ばかり離れたところに住む娘と婚約したのである。拾得を伴って娘の家に向かった寒山は、結婚祝いのために豚を屠殺し、娘はその豚でご馳走をこしらえたのであるが、実は拾得はその娘と恋仲であった。寒山は、黙っている拾得と娘を見て、一度は不思議に思ったが、まだ十里も離れたところで屠殺を頼まれていたため、二人を残して家を後にしたのである。とそのとき、豚の毛を剃る道具を忘れたのに気付き、ひき返して娘の家まで戻ると、衝撃的な拾得と娘の会話が寒山の耳に入ってきた。
それは、娘は拾得と恋仲であるのに、娘は知人の持ってきた縁談を断りきれず受けてしまい、また拾得もその娘への想いを寒山に打ち明けることができなかったという内容であった。凡夫であれば怒って二人を咎めるであろうが、寒山は拾得と娘の気持ちを慮って、自ら出家の道を選択したのであった。寒山の気持ちを痛いほど理解した拾得も、この娘との結婚をあきらめ、出家の道を選択し、寒山を探す旅に出たのであった。そして困難の末、拾得は仏の加護を得て蘇州に辿り着き、寒山と奇跡的に再会したのであった。
そして、張継の詠んだ「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」に出てくる、「楓橋」の袂(たもと)に寺院を建立し「寒山寺」と命名したのであった。拾得はその後、寒山寺の後継争いを避けるため日本に渡り、日本の「拾得寺」と蘇州の「寒山寺」は深い関係があるとのことである。日本では、寒山は「文殊菩薩」、拾得は「普賢菩薩」の化身とされ、生涯純真無垢な童心を失わず、俗世を嫌い飄々として生活したのであった。
寒山寺では、毎年大晦日に除夜の鐘が鳴らされ、その鐘の音色は10歳若返らせる効能があると言われており、12月31日には中国の人だけでなく、日本、韓国など世界各国の観光客も大勢参加するようになっている。「言霊」という言葉があるが、寒山寺の鐘の「音霊」すなわち音による癒し効果の他に、寒山と拾得の純真無垢な童心を失わない心こそが、若さの秘訣なのかもしれない。
第9話 漢文に学ぶ(2)
蝸牛角上争何事 蝸牛(かぎゅう)角上(かくじょう) 何事をか争う、
石火光中寄此身 石火光中 此の身を寄す。
白楽天の「対酒」の一節であるが、白楽天は『荘子』に出てくる「蝸牛角上の争い」を題材にしてこの詩を詠んでいる。
話は『荘子』になるが、昔、魏の恵王と斉の威王は同盟を結んでいたが、まもなく斉王がその盟約を破棄した。荘子は、カタツムリの左の角には触氏(という国)が、右の角には蛮氏(という国)があり争いが絶えなかったと述べ、魏と斉の国どおしの争いが、触氏と蛮氏の国どおしの争いとどれほど違いがあるのかを、威王に問うたのである。荘子は、心を無窮の世界に遊ばす観点から見れば、どんな大国でもカタツムリの角に過ぎず、あるかないかの存在に過ぎないと説き、つまらない問題で争う愚を笑い飛ばしたのである。
白楽天は、この『荘子』の話を引用し、カタツムリの角のように小さい世界で何を争うのか、火花のように短い人生なのだと詠み、この一節の次に、金持ちも貧乏人もそれなりに楽しもうじゃなか、と続ける。荘子は国レベルで物事を考えているのに対して、白楽天は個人レベルで考えているのも興味深いが、荘子や白楽天の楽天的でスケールの大きい見方、すなわち、心を無窮の世界に遊ばす余裕こそが、現代人が忘れている大切なものであると感じる今日この頃である。
第8話 漢文に学ぶ(1)
神亀雖寿 神亀(しんき)寿(いのちなが)しといえども、
猶有竟時 なお竟(おわ)る時あり。
騰蛇乗霧 騰蛇(とうだ) 霧に乗ずるも、
終為土灰 終(つい)に土灰(どかい)となる。
老驥伏櫪 老驥(ろうき) 櫪(れき)に伏すも、
志在千里 志 千里に在り。
烈士暮年 烈士 暮年(ぼねん)、
壮心不已 壮心(そうしん) 已(や)まず。
「長寿の象徴といわれている亀でも、いつかは死を迎える。龍は霧に乗じて大空に舞い上がるが、いつかは死んで土塊に戻る。しかし千里を走る馬は、年をとって馬小屋につながれていても、その思いは千里の彼方にある。志の高い人は、晩年になっても沸々と湧き上がる崇高な気持ち・志を抑えることはできない。」といった意味である。
この漢詩は三国志に出てくる曹操(悪役として登場するが、教養が深く、優れた漢詩を残している)の「歩出夏門行」という一節である。私のこれまで教えていただいた恩師は、年齢を重ねてもその学問に対する情熱はほとばしるものがあり、私は自らの怠慢を戒める意味で、この漢詩を味わって読んでいる。
(「しがみつく むかし馬の背 今(乗馬)マシン」hayato)
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ところで、この漢詩を私は次のように解釈したい。すなわち定年後や年齢を重ねてなお、何か新しいことにチャレンジしたい、何かを学びたい、あるいは崇高な気持ちから社会のために役立ちたいと考えている人は、男女を問わず「烈士(志の高い人)」であると。絵本『木を植えた男』の主人公のブフィエ氏は、崇高な精神から、名誉のためでもなく、自分自身のためでもなく、フランスの山奥の荒野を、緑豊かな森にたった一人で再生した烈士である。人は年齢を重ねても、ほとばしる情熱・志を持って生きていく限り、まぎれもなく「千里を走る馬」に匹敵すると私は考えたい。
第7話 能面に学ぶ
仮面の役割
2007年9月に、奈良県の纒向(まきむく)遺跡で日本最古の木製の仮面が見つかった。出土した木製仮面は農耕用の鍬を再利用したアカガシ製で、農耕儀礼や鬼追いのルーツという見方が出ている。中国でも非常に多くの種類の仮面が作られ、日本同様に宗教的意味合いが強いそうである。欧米では、仮面舞踏会に顔や身分(時には性別)を隠して登場する覆面的要素も強いが、やはり仮面は自分とは違うもの(神)になるための装置と考えられてきた。
たとえば映画『マスク』(The Mask、1994)では、偶然手にした不思議な緑色の木製仮面をつけると、北欧神話に登場する悪戯好きの神ロキ(Loki)の不思議なパワーによって黄緑色の顔の魔人「マスク」に変身するというように、仮面がそれを装着した人の人格に影響を与えることは、洋の東西を問わず太古の時代から信じられてきたといえよう。以下において、日本が誇る伝統芸能である能面について考えてみたい。
能面の表情
能面は、翁・老人系・鬼神系・女面系・男面系・怨霊系に分類でき、基本形は60~70種、細分化すると約250種類あるとも言われている。憂いを含むが高貴で神性さを漂わせている増女(ぞうおんな)、美女だが目元に凄みを感じさせる泥眼(でいがん)、女性の嫉妬と怒りを表した般若(はんにゃ)、知恵と安らぎを感じさせる翁(おきな)など、作られた時代の人々の思いを受けて、今日の能面の形がある。ピカソが、バランスや配置や色使いをうまく使って、人を正面から見た顔と横顔を高次元で融合させたように、能面師が、愛と無関心、怒りと慈悲、悲哀と微笑、悲しみと喜び、憂いと悦び、憎悪と愛情、嫉妬と愛情、恥じらいと大胆さといった二律背反する表情を同時に能面に持たせてきたその美的感覚・造形的工夫に驚嘆せざるを得ない。
面打ちと法律家
ところで、能面が演者の心に影響を及ぼし、逆に能面師や演者が能面に息を吹き込むことは、法律の文言が法律家を拘束する反面、法律家が法解釈や法的価値判断によって法律を使いこなそうとすることに似ている。
「面打ちにプロもアマもない。みんな最初は私をふくめてアマから出発するのです。要は面を打つという真剣さこそ大切。何も考えずに無我の境で打つ、そこに名面が生まれる。面打ちは心である」(北沢如意-能面工藝-昭和42年)という能面師・北沢氏の言葉が私は好きである。
能面師や演者の精神的水準の高さ、美的感覚も、一心不乱に真剣に取り組んでこそ身につけられるというもの。能と同様に、法律の奥は深い。相反する利益を絶妙のバランス感覚で両立させ、リーガルマインドを身につけてもらうために、先達の心を大切にしていきたい。そして、一つ一つの能面が、古の人々の思いを今日に伝え、見る者に深い感動を与えるように、長い歴史の中で着実に体系化されてきた法律を、私たち共有の財産として、少しでも身近に感じてもらえるような教師を目標にして精進していきたい。
(ユマニテ14号、2007年12月号9頁掲載)
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第6話 名古屋能楽堂での能楽鑑賞
能というと,馴染みのない方が多いと思いますので簡単に説明しますと,約600年ほどの歴史があり,舞踏,音楽,詩,劇などが交じりあった舞台芸術です。私は子供のころに,能の起源が五穀豊穣を祈る民族芸能や田楽,猿楽,散楽などが,相互にあざなえる縄の如く影響しあいながら発展してきたと教えられました。時代や国によって変わることない,人間の本質的な部分や情念を描こうとしている能の中に,普遍的な美を追求する日本文化の極限的美しさが凝縮されているように思います。極限まで洗練された動きの中には,さまざまな内容が織り込まれ,一見無表情に思える能面を見ていると,幾通りもの表情が見えてくるところがまた魅力です。たぶん,見ている人のその時々の心を反映させているのではないかと思います。日本人が創出し,大切にしてきた舞台芸術の中に,皆さんは何を見出しますか?
名古屋能楽堂は,また建造物としてもとても魅力的です。私は,能楽堂の構造にも興味があり,オペラグラスで構造物も鑑賞してきました。ヒノキの柱は,80年生,いやそれ以上の美しい無垢材を使用し,役者の打ち鳴らす足の音が見事に響き渡るように,床下に壷が入れてあるのです。まるで「水きんくつ」が奏でる雨の音にも似て,舞の音がわれわれを舞台世界の中へと引き込んでいくから不思議です。屋根のある6m四方(名古屋能楽堂は,柱の幅をいれず,他よりもその分広いそうです)の本舞台と橋掛かり,鏡の間からなる能専用の舞台は見事なもので,ヒノキの白木造りは優雅かつ幽玄の世界を演出しています。また,音響効果を考えて,必要以上に飾らず,役者の声や,笛,太鼓の音の響きを大切にしているのが分かります。
残念ながら,館内は撮影禁止のため,ここでは能楽堂の写真はお見せできませんが,当日は,経正(平 経正)という番組を楽しみました。
Copyright (C) 2008 Hayato HIRATA. Copyright (C) 2008 Hayato HIRATA.
芸術や音楽を愛する経正は,合戦で死んだ後,阿修羅界に行くのを拒み,生者の世界に戻ってきます。自分が大好きだった音楽が聞こえてきたからです。彼が生前に大切にしていた琵琶(「青山」)をもう一度弾きたいと思ったからです。ここで阿修羅ということばが出てきましたが,阿修羅像(乾漆造 彩色 奈良時代,像高 153.4cm)の詳しいことについてはまた,別の機会にお話しましょう。梵語のアスラ(Asura)の音写で,「生命(asu)を与える(ra)者」あるいは「非(a)天(sura)」とも言われ,西域では大地に恵を与える太陽神でしたが,インドでは熱波を招来させて大地を干上がらせる太陽神となり,常にインドラ(帝釈天)と戦う悪の戦闘神と言われています。仏教では釈迦の教えに触れた守護神と説かれますが,阿修羅像が正面に構えて合掌している掌は実は合わさってはおらず隙間があるのです。そのお話は,また後日いたしましょう。
第5話 法学部で学ぶべきこと(早離と即離の教訓)
『華厳経(南伝大蔵経)』の中に,以下のような寓話があるそうです。
「・・・早離と即離は幼い兄弟です。両親と早く別れたので兄は「早離」,弟は生まれてすぐに両親と別れたので「即離」という名前がついたそうです。この薄幸な幼い兄弟が毎日泣いていると,ある心のよくない男が,『父母に会わせてやるから,この小舟に乗れ』と誘ったのでした。幼い兄弟は騙されるとは知らずにその男の言葉にしたがって舟に乗り,沖あい遥かの小島に連れて行かれてしまいました。ところが,その男は幼児二人をおろすと,なんと舟を漕いで去ってしまうのでした。
二人の幼な子は,島の中をかけめぐって父母の名前を呼べど,父母に会えるわけがありません。ついに飢えと疲れでその島で短い生涯を終えるのでした。死に臨んで弟の即離は,自分たちの運命を嘆きました。黙って弟の悲しみを聞いていた兄の早離は,弟をなだめて静かにこう言いました。
『わたしもはじめは世を呪い,人を怨んだが,この離島ではどうにもならぬ。ただ身をもって学んだことは,親とわかれ,人に欺かれることの悲しさ,飢えと疲れの苦しさである。されば,次の世に生まれてくるときは,いまこの世でなめた苦悩の体験を縁として,同じ悲運に泣く人たちを救ってゆこう。他をなぐさめ,他を救うことが,そのまま自分の救われる道と,われらは的確に学び,体験したではないか』と。
弟は,はじめて兄の言葉を理解すると,はればれとした顔になり,兄弟抱きあって息絶えましたが,二人の幼な顔には,静かな微笑が浮かんでいたのでした。この兄こそが観世音菩薩,弟が勢至菩薩であったそうです。そしてこの島が補陀落(ホダラク)島であったのでした。・・・」(松原泰道『般若心経入門ー276文字が語る人生の知恵 』祥伝社、1984年より引用)
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真の法律家には,たとえ自分が当事者の味わった嫌な気持ちや,不幸な体験をしたことが無くても,その人の痛みに共感して理解し,困っている人を救って行く責任があります。また,法学部で学ぶ本当の意味はそういったことではないかと思うのです。
逆に,これまで嫌な思いをしたり,不幸な体験をしたことのある人は,早離のように,それをバネにして,法律を学び社会に役立てて欲しいと思います。私は宗教家ではありませんから,宗教のことは多くを語れませんが,少なくとも早離のような崇高な気持ちをもった人間が一人でも多くなれば世の中は変わっていくと思います。
このメッセージは,高校生のみならず,在学生や社会に向けて発信していますが,悪徳商法,詐欺といった実態を目を背けずに直視して法学部時代にしっかりと学び,被害者の気持ちを理解するだけでも法学部で学ぶ価値は十分にあると思います。
第4話 ビーズ刺繍
先日,教え子からビーズ刺繍のバッグの写真が送られてきました。
私は,NHK文化センターで「法律」講座を担当していたとき,ビーズ刺繍講座があるのを知っていたので,彼女のバッグの細かい刺繍の芸術性に感嘆しました。
細かい作業は,論文を作成する作業と共通するように思います。特に,全体の構図を考えてから各部分の細部に至るまで綿密に練り上げ,コツコツと作業をしていくのは,骨の折れる仕事です。しかし,出来上がったときの喜びはひとしおだと思います。
ホームページの読者から,文字ばかりで写真も入れたらとのご意見が寄せられ,今回,教え子が作成したビーズ刺繍のバッグの写真を掲載させていただきました。
第3話 母の詠んだ和歌
2005年4月20日に,母が他界しました。父も,私たち兄妹も,家族みんなが母を頼りにし,心の支えでした。母がただそこにいるだけで,みんなの心が安らぐそんな存在でした。「ありがたい,もったいない,すみません」の三つの心を忘れない母は,いつも優しく,人の嫌がることを言わず,体の弱い人や障害を持つ人の気持ちが分かる人でした。昭和50年頃から体調を崩し,長い闘病生活を送ってきた母に,私は「さよなら」とは言わず「本当にありがとう」といって見送りました。私がレトリックに興味を持ったのも,母の影響かもしれません。
母の趣味の一つに和歌がありますが,母への感謝の気持ちを込めて,その一部をここにご紹介したいと思います。
1 蛍雪の 功を報いし 喜びを 忘れざらなん 学期の始めに(観音寺第一高校の時に香川県庁で表彰されたものです)
2 テレビ見て 昔なつかし ふるさとの 木々の隙間に 土蔵が見える
3 新春の 朝届きたる 新札は 妹からの 心のエール
4 国のため 死すべき命 長らえて 先に旅立つ 友を見送り
5 山の神 例祭迎え 家族らの にぎわう声が 森に響きて
6 あれこれと 迷い迷って いたけれど やはり想うは 家族への想い
第2話 1:29:300の法則
最近,自動車の欠陥隠し問題や,医療過誤事件など,マスコミで連日のように報道されている。今回は,「1:29:300の法則」との関わりでこれらの問題を考えてみたい。この法則は,アメリカのハインリッヒ氏が労働災害の発生確率を分析したことに因んで,ハインリッヒの法則とも呼ばれている。それによると1件の重大災害の背後には,29件のかすり傷程度の軽災害があり,その背後にはケガはないがヒヤリとした300件の体験があるという確率論上の法則である。某自動車メーカーに起因する1件の大事故の背後には29件の顧客や組織内部から寄せられたクレーム,苦情で明らかになった事故があるという。さらにその背後には,300件の潜在的な顧客のヒヤリとした体験・社員の不満が存在することになる。企業のトップや執行部が,一部の自分と気の合う人間だけからの情報に基づき判断し,自分にとって耳障りな部下の意見やユーザーの不満,クレームに聞く耳を持たない企業や組織は,今後,ユーザーや社員の離反を引き起こし,ブランドを傷つけるような重大な失敗にいたることをハインリッヒの法則は教えてくれる。その他,法的危機管理論において,人から見た危ない兆候(無傷の300の兆候)のうち,いくつかの具体例をあげると,「目をそらして話す人」,「名刺に多くの肩書きを刷り込む人」,「小さな約束を守らない人」,「ワンマンで人の意見を聞かない人」,「労働組合とうまくいかない人」,「時間を守らない人」,「酒を飲むとやたらに話が大きくなる人」等が挙げられるが,リスクを見抜く力のない企業は生き残れないであろう。
第1話 本の話
本を表す言葉は,book(英語),Buch(ドイツ語),bok(スウェーデン語),boek(オランダ語),livre(フランス語),livro(ポルトガル語),libro(スペイン語),libro(イタリア語)というように国によって様々である。英語のbookは,古代英語で「ブナの木」を表すbocから来ているといわれているが,ブナの木をルーツとするグループの他にラテン語から派生したグループもある。ラテン語で書物のことをliberというが,「樹木の内皮」が本来の意味である。このように,木や樹皮といった材質から本は誕生したのであるが,それゆえに本は材質の脆弱さだけでなく,物理空間占拠により,その管理に多大の労力を求める。個人で毎年図書を購入し続けると蔵書管理の問題は深刻化する。
柳田国男がかつて自分の所蔵するすべての書物を成城大学に寄託したことは有名である。寄託とは民法上,当事者の一方(受寄者)が相手方(寄託者)のために物を保管する契約のことをいうが,柳田は寄託に際して二つの条件を出した。第一の条件は書物に縄をかけて積んでおくようなことがないようにしてほしいというものであった。書物が傷まないようにという要求以上に,彼の書物への愛情のようなものを感じる。第二は,この蔵書を利用して学問の進歩に役立ててほしいという条件であった。
成城大学は上の条件を守っただけでなく,なんと柳田の蔵書を彼の本棚に並んでいた時とまったく同じ配列法で書架に整理したのである。優れた業績を上げた学者や作家が長い年月をかけてコツコツと収集した蔵書は,個々の書物が貴重であるだけではなく,配列法も含め,体系としての価値も大きいことを大学は熟知していたのであろう。柳田や家族にとって愛着の深い蔵書が傷むことなく,大学で役に立っているということはすばらしいことであろう。逆に図書館を利用する側にとっても興味深く有益である。
とはいえ,数万冊の蔵書ともなれば,実際には全部を受け入れてくれる図書館はなかなか見つからないであろうし,たとえ寄贈が受け入れられても,図書館の方針上,不要とされた本は古本屋などに払い下げられることが多いと聞く。古本屋の軒先で直射日光や風雨に晒されながら枯れ木のように劣化している本は,本当に役立ててくれる読者を待っている。多くの年輪を重ねた古木にこそ,価値は宿っているのではないだろうか。多くの人が図書館や町の古本屋を活用し,自分にとって不要な本は必要とする人に読んでもらうようにし,また自分の必要とする本を図書館や古本屋で見つけることができるといった本のリサイクルがもっと活性化すればと思っている。そうすれば木は本となり,子供から大人まで人の心の糧となり,人の心を豊かにすることで,大木になった兄弟姉妹以上に誇れる一生を送ることができるであろう。
本の材質からくる欠点を克服するものとして,最近,本の電子化が話題になっている。パルプの大量消費による森林破壊が防げるだけでなく,利便性においても特筆すべき点がある。たとえばある百科事典全30巻がCD1,2枚に納まったり,法律を勉強する学生たちが利用する膨大な判例集が即座に検索可能なCD数枚に納まったりと,目をみはるものがある。また目の不自由な人や自分で本のページをめくることができない寝たきりの人にとって,画面に表示される小説の文章をコンピュータが朗読してくれることにより,世界が広がるのもすばらしいと思う。15年以上前に,イギリスのレスター大学のメドウス教授が「新しいメディアと伝統的な書物との相互にとって有利なバランスは何かを問うべきである」と問題提起されたが,確かにわれわれは今後,紙の本と電子本との最適な均衡点を探っていかなければならないであろう。